Mr.C.B. ミスターシービー(みすたあ しいいびいい)


1983 菊花賞 ミスターシービー

Mr.C.B.(ミスターシービー)とは、千明牧場で生まれた、男馬という意味。

千明牧場を代表する男馬になってほしいという願いが込められた、黒鹿毛の馬である、ミスターシービーは、1980年4月7日生まれで、2000年12月15日に牡・20歳(人間に例えれば、60歳~70歳前後)で死去するまで、競走馬・種牡馬として活躍した黒鹿毛馬で、現役時代・美浦 松山康久厩舎に預けられた、ミスターシービー(シービークインの一)は、天馬・トウショウボーイを父に、シービークインを母に持つ、黒鹿毛サラブレッドです。

 

1982年(昭和57年)・11月6日 ミスターシービーは、東京競馬場で行われた、サラ系3歳新馬戦(現・メイクデビュー・東京)で初勝利を収め、デビューを果たしたのです。

ミスターシービーには、ブライオリーパークを父に持つ初代(ミスターシービー)がおり、1937年(昭和12年)の、日本ダービーにも出走したことがありましたが、ヒサトモの10着に終わった事もあり、翌年・1938年(昭和13年)の日本ダービーではスゲヌマで優勝馬に輝くなど、千明牧場の生産馬はメイズイなどの名馬を輩出してきました。

牡・4歳になった、ミスターシービーは、共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)で優勝したのを始め、報知杯弥生賞(中山競馬場)・皐月賞(同)・第50回日本ダービー(東京優駿)で優勝し、二冠を達成したのです。

 

ミスターシービーは、1983年11月13日・京都競馬場で行われた、第44回・菊花賞に、ゼッケン番号9番で参戦、京都新聞杯で3着と敗れた悔しさをバネに参戦し、見事に先頭に立って1着となり、シンザン以来19年ぶりに三冠馬に輝きました。

蹄を痛めたため、牡・5歳は、毎日王冠(東京競馬場)から出走するが、カツラギエースの2着に敗れたとの事。

1984年10月28日・同じ、東京競馬場で行われた、第90回・天皇賞・秋ミスターシービーは、2着のテュデナムキングの追撃をものとせず、1分59秒3のレコードタイムで優勝、四冠を達成するとともに、完全復活をアピールしました。

 

それが、ミスターシービーが勝利をものにした最後のレースであろうとは、だれが予想していなかったのでしょうか。

 

グッドルッキングホース・ミスターシービーは、ジャパンカップに挑むもカツラギエースに敗れ、有馬記念では、無敗の三冠馬・皇帝馬 シンボリルドルフにもかわされて敗れ、牡・5歳でのレースを終えたです。

牡・6歳になった、ミスターシービーは、サンケイ大阪杯(現・産経大阪杯)に挑むも、ステートジャガーの2着に終わり、1985年(昭和60年)4月29日に京都競馬場で行われた、第91回・天皇賞 春で、第90回・天皇賞 秋以来の勝利を目指すも、次世代の三冠馬・皇帝馬 シンボリルドルフの5着に敗れたのを最後に、骨膜炎がもとで惜しくも現役を引退、10月6日・デビュー地の東京競馬場で引退式を行い、1984年(昭和59年)10月28日に同場で行われた、第90回・天皇賞 秋で、2着のテュデナムキングの追撃をものとせず、1分59秒3のレコードタイムで優勝、四冠を達成すると共に、完全復活をアピールした時の、ゼッケン番号・13番で登場、多くの競馬ファンに惜しまれつつ、ミスターシービーは、ターフを去りました。

1985年10月6日・東京競馬場で行われた、引退式でのMr.C.B.(ミスターシービー)

引退式後の、Mr.C.B. ミスターシービー

グッドルッキングホース・ミスターシービーは、1986年(昭和61年)から、種牡馬となり、社台ファーム・早来牧場(現・社台スタリオンステーション・早来)でスタッドインし、1991年(平成3年)には、レックススタッドで、1999年(平成11年)の秋の種付けシーズンで種牡馬を引退するまで、繋養生活を送り、2000年(平成12年)からは、千葉県・成田市・本城にある、千明牧場・三里塚分場で、功労馬として送りましたが、2000年12月15日の朝7時15分・蹄葉炎による衰弱の為、同場で、牡・20歳で息を引き取りました。

 

通算成績で15戦8勝を挙げた他、1983年(昭和58年)の優駿賞年度代表馬に選出されており、1986年(昭和61年)には、顕彰馬にも選定されたとの事です。

 

ぼくの心の中には、現役競走馬として活躍した頃の、グッドルッキングホース・ミスターシービーがいます。

 

現在・天国で静かに眠っている、グッドルッキングホース・ミスターシービーを今後共、見守りたいと想い、願っております。

 

グッドルッキングホース・ミスターシービーの更なる、ご冥福をお祈りしたいと想い、願っております。