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オリジナルストーリーを中心に紹介します。

オセアニア州・オーストラリアで生まれた、ウートンバセットが父の産駒 ベッラミンニNo2047

北海道・渡島総合振興局二海郡という新設の郡に属する、八雲町、檜山振興局に所属する、爾志郡・熊石町を合併して発足した、二海郡・八雲町は、酪農と木彫り熊の発祥の地であり、バター飴も、八雲町を発祥の地として知られており、ここから、全道にて、バター飴を生産しております。

 

二海郡という、新設の郡に属する、八雲町は、山越郡に属していた町であり、ここに住む、正雄さん(秀幸さんに相当する。)は、漁師であり、息子の優広さん(優貴さんに相当する。)も漁師として活躍している人間で、副業として競走馬主もしております。

妻の弓子さん(理恵アリックス・エカテリーナさんに相当する。)も漁師で、姉の裕美さん(広子さんに相当する)も漁師をしているほか酪農もしております。

 

優広さんにもスーパーベビーがおりますが、こちらは、ディズニー・リゾートクルーズラインにちなんだ名前が付けられており、ファンタジーちゃん(セバスチャンさんに相当する赤ちゃん)のほか、アリエルさんに相当する、アリスさん、グラードさんに相当する、グラシアさん、大丘さんに相当する、白銀さんなどが住んでいます。

 

去る9月しベッラミンニNo2047が、オセアニア州・オーストラリア(豪州)・ニューサウスウェールズ州のクールモア・オーストラリア(クールモアスタッド・オーストラリア)から、飛行機で海を渡航して、日本に来ました。

 

父・ウートンバセットの産駒で、母・イタリア語でかわいいミニーを意味する、ベッラミンニと呼ばれる、鹿毛牝馬は、現役時代、イタリア人の所有馬として、イタリア・フランス・イギリスと転厩しながら、競争生活を送った実力派の牝馬で、オーストラリア・フレミントン競馬場で行われた、メルボルンカップに参戦するため、オーストラリア遠征を敢行し、2着馬以下を抑えて制覇を果たしたのがラストランとなり、惜しくも引退しました。

ベッラミンニは、翌年から繫殖牝馬として、クールモア・オーストラリア(クールモアスタッド・オーストラリア)で掲揚生活を開始し、多くの産駒を輩出していて現在も活躍中、配合種牡馬は、ウートンバセットが多く、次いで、Calux・ユーエスネイビーフラックと続いているのです。

 

日本での着地検疫検査をした後、社台ファームで育成され、第3回・産地場体検査を受検した、ベッラミンニNo2047は、栗東の佐彦調教師(佐春調教師に相当する。)の厩舎と預託契約を交わす手続きを完了しました。

 

ゲート練習を行い、ゲート試験を受けた、ベッラミンニNo2047、一発で合格しました。

 

そして、追切を行い、メイクデビューへの近道を進みました。

 

この間、競走馬新規登録をする関係上、馬名を決めなければならないので、話し合いを行いました。

 

正雄さんは、戦国の武将の出会って青函航路の船であった、タムラマル Tamuramaruを考えた、それに対し、弓子さんはイタリアの通りである、ミラノストリート Milano Streetを馬名にしたいと考えたのです、それに対しアリスさんはフランスのエッフェルタワー Erfel Towerを推薦し、グラシアさんは、ドイツのフュッセンから、フュッセンリゾート Fussen Resortを採用したいと願い出ていて、白銀さんは、八雲町の集落・ノダオイ Nodaoeiを提案したいとしたので、意見が分かれました、結局・優広さん・ファンタジーちゃんが命名したいとしていた、イギリス ロンドン~ガドウイック・ブライトン間を結んでいる列車・ガドウイックエクスプレス Gawdwick Expressに決まりました。

(グラシアさんが、馬名採用には至らなかったのですが、フュッセンリゾート Fussen Resort=ドイツのフュッセンからを、馬名に命名したいといった背景には、グラシアさんが、中学時代の旅行で、群馬県沼田市(当時は利根郡・沼田町)に行った想い出があったからですよと、話したからです。)

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